「もう書く時間がない」――民法が用意した非常口

まず、この制度の位置づけから確認いたします。

原則は3つ、しかし条文にはただし書がある

民法967条は、遺言の方式について次のように定めています。

[民法967条(普通の方式による遺言の種類)]
遺言は、自筆証書、公正証書又は秘密証書によってしなければならない。ただし、特別の方式によることを許す場合は、この限りでない。

前段が原則です。自筆証書遺言・公正証書遺言・秘密証書遺言――この3つが普通の方式です。ところが、条文はそこで終わりません。ただし書が、例外の存在を宣言しています。

この「特別の方式」が置かれているのが、民法976条から984条です。普通の方式では遺言ができない特別の事情がある人のために、方式を緩めるかわりに、別の歯止めをかける――そういう設計になっています。

特別方式の遺言=
方式を緩めるかわりに
別の歯止めをかけた遺言
緩めた分だけ、家庭裁判所の確認・6か月での失効という制約が加わります

「緩める」とは何を緩めるのか

普通の方式の遺言は、いずれも遺言者本人が動くことを前提にしています。自筆証書遺言なら全文・日付・氏名を自書して押印する。公正証書遺言なら公証人の前に出向く(または公証人に出張してもらう)。秘密証書遺言なら封をして公証人と証人の前に提出する。

ところが、死の危急に迫った方には、それができないことがあります。ペンを持てない。字が書けない。公証人の到着を待てない。特別方式は、その「できない」部分を他人が肩代わりできるようにしたのです。

具体的には、危急時遺言では、遺言者本人の署名も押印も要求されていません。条文をよくお読みください。民法976条1項で署名押印を求められているのは証人です。ここが、普通の方式との決定的な違いです。

ただし、非常口はあくまで非常口です

誤解のないよう申し上げます。特別方式の遺言は、「公正証書遺言を作るのが面倒だから、いざというときこれで」という代替手段ではありません。要件は厳格で、家庭裁判所の確認という手続が必要で、しかも遺言者が回復して6か月生存すれば効力を生じません(民法983条)。
さらに実務では、「口授があったといえるか」「証人に欠格事由はなかったか」が後日争われやすい方式でもあります。元気なうちに公正証書遺言を作っておく――これに勝る備えはありません。この記事は、それが間に合わなかったときのためのものだとご理解ください。

特別方式の遺言は4つ――危急時が2つ、隔絶地が2つ

全体像を先に押さえます。特別方式の遺言は、大きく2つのグループ、合わせて4種類です。

グループ種類(条文)立ち会う人家庭裁判所の確認
危急時遺言 死亡の危急に迫った者の遺言
(民法976条)
証人3人以上 遺言の日から20日以内
危急時遺言 船舶遭難者の遺言
(民法979条)
証人2人以上 遅滞なく
隔絶地遺言 伝染病隔離者の遺言
(民法977条)
警察官1人及び証人1人以上 不要
隔絶地遺言 在船者の遺言
(民法978条)
船長又は事務員1人及び証人2人以上 不要

2つのグループの違い――「時間がない」のか「場所が遠い」のか

この4つは、困っている理由が違います。

グループ困っている理由緩められる点
危急時遺言
(976条・979条)
時間がない――死が迫っていて、書くことも公証人を呼ぶこともできない 遺言者本人の署名押印が不要。証人が代わって筆記し署名押印する
隔絶地遺言
(977条・978条)
場所が遠い・出られない――公証人にたどり着けない状況にある 公証人の代わりに警察官・船長等が立ち会う

ここから、家庭裁判所の確認の要否も説明がつきます。危急時遺言は、遺言者本人が署名押印していません。だからこそ、本当に本人の意思だったのかを家庭裁判所が確認する手続が置かれているのです。

これに対し、隔絶地遺言では、遺言者本人も署名押印します。民法980条は「第九百七十七条及び第九百七十八条の場合には、遺言者、筆者、立会人及び証人は、各自遺言書に署名し、印を押さなければならない」と定めています。本人が署名押印している以上、確認の手続までは要求されていない――そういう対応関係です。

危急時遺言 民法976条・979条 遺言者の署名押印は不要 署名押印するのは証人 だから家庭裁判所の 「確認」が必要 隔絶地遺言 民法977条・978条 遺言者も署名押印する 民法980条 だから「確認」の手続は 置かれていない
危急時遺言と隔絶地遺言――「確認」の要否は、遺言者本人の署名押印の有無と対応しています(民法976条・979条・980条)

民法984条は「特別方式」の場所にあるが、内容が違う

もうひとつ、条文の並びについて申し添えます。特別方式を定めた条文の最後に、民法984条(外国に在る日本人の遺言の方式)が置かれています。

[民法984条]
日本の領事の駐在する地に在る日本人が公正証書又は秘密証書によって遺言をしようとするときは、公証人の職務は、領事が行う。この場合においては、第九百七十条第一項第四号の規定にかかわらず、遺言者及び証人は、同号の印を押すことを要しない。

お読みいただくとわかるとおり、これは公正証書遺言・秘密証書遺言という「普通の方式」を、外国で作るための特例です。公証人の役割を領事が代わりに務める、という規定であって、危急時遺言や隔絶地遺言とは性質が異なります。条文の位置だけを見て「これも特別方式の一種だ」と数えてしまうと、説明が混乱します。本記事で「特別方式の遺言は4つ」と申し上げているのは、976条・977条・978条・979条の4つを指しています。

死亡危急者遺言(民法976条)――証人3人以上と「口授」

ここからは、実務でもっとも登場する死亡危急者遺言を詳しく見てまいります。

条文の要件を分解する

民法976条1項は、次のように定めています。

[民法976条1項]
疾病その他の事由によって死亡の危急に迫った者が遺言をしようとするときは、証人三人以上の立会いをもって、その一人に遺言の趣旨を口授して、これをすることができる。この場合においては、その口授を受けた者が、これを筆記して、遺言者及び他の証人に読み聞かせ、又は閲覧させ、各証人がその筆記の正確なことを承認した後、これに署名し、印を押さなければならない。

この一文に、要件が5つ詰まっています。順に並べます。

  1. 遺言者が「死亡の危急に迫った者」であること 条文は「疾病その他の事由によって」としています。病気に限られません。事故による重傷なども含まれ得ます。実際に死亡することは要件ではありません――ここは後述する民法983条とあわせてご理解ください。
  2. 証人3人以上が立ち会うこと 3人「以上」です。4人でも5人でも構いません。ただし3人を下回ると方式違反になります。そして後述のとおり、証人には欠格事由があります。ここが実務でもっともつまずきやすい点です。
  3. 証人の1人に遺言の趣旨を「口授」すること 口授(くじゅ)とは、口で述べて伝えることです。遺言者が自分の言葉で、遺言の内容を証人の1人に伝えます。この「口授があったといえるか」が、後日もっとも争われる点です。
  4. 口授を受けた者が筆記し、遺言者及び他の証人に読み聞かせ、又は閲覧させること 筆記するのは口授を受けた証人です。そして遺言者本人と、他の証人に、その筆記の内容を確認させます。読み聞かせでも、閲覧させるのでも、どちらでも構いません。
  5. 各証人が筆記の正確なことを承認して、署名し、印を押すこと 署名押印するのは証人です。遺言者本人の署名押印は、条文上求められていません。字が書けない状態を前提にした方式なのですから、当然といえば当然です。

「口授」は、この方式の心臓部です

5つの要件のうち、後日いちばん問題になるのが口授です。あらかじめ用意された文案を証人が読み上げ、遺言者がうなずいただけ――このような形で作られた危急時遺言について、口授があったといえるかが裁判で争われた例が複数あります。
危急の場面では、遺言者の発語が弱く、はっきりした言葉が出ないことも少なくありません。だからこそ実務では、遺言者が実際に発した言葉をできるだけそのまま記録に残す、問いかけと応答のやりとりを具体的に書き留めるといった手当てが重要になります。個別の場面で何をどう記録すべきかは、弁護士等の専門家にご相談ください。

話せない・聞こえない場合の手当て(976条2項・3項)

民法は、口授ができない方・読み聞かせを受けられない方のための規定も置いています。

条項状況取扱い
976条2項 遺言者が口がきけない者である場合 遺言者は、証人の前で、遺言の趣旨を通訳人の通訳により申述して、口授に代える
976条3項 遺言者又は他の証人が耳が聞こえない者である場合 口授又は申述を受けた者は、筆記した内容を通訳人の通訳により伝えて、読み聞かせに代えることができる

なお、2項は「代えなければならない」、3項は「代えることができる」という書き分けになっています。細かい点ですが、条文を引用なさるときはご注意ください。

証人になれない人がいます(974条の準用)

ここが、実務でもっとも見落とされる点です。

民法982条は、「第九百六十八条第三項及び第九百七十三条から第九百七十五条までの規定は、第九百七十六条から前条までの規定による遺言について準用する」と定めています。この準用によって、証人及び立会人の欠格事由を定めた民法974条が、特別方式の遺言にも適用されます。

[民法974条(証人及び立会人の欠格事由)]
次に掲げる者は、遺言の証人又は立会人となることができない。
一 未成年者
二 推定相続人及び受遺者並びにこれらの配偶者及び直系血族
三 公証人の配偶者、四親等内の親族、書記及び使用人

危急の場に居合わせるのは、たいてい「証人になれない人」です

お考えになってみてください。病室で最期のときを迎えようとしている場面に居合わせるのは、誰でしょうか。配偶者、お子さん、お孫さん――推定相続人です。そしてその配偶者も、そこにいらっしゃるかもしれません。
ところが、民法974条2号により、推定相続人・受遺者、そしてこれらの配偶者・直系血族は、証人になれません。つまりご家族だけで危急時遺言を作ろうとすると、証人が足りなくなるのです。3人以上の証人を、相続に利害関係のない人から集めなければなりません。
実務では、主治医、看護師、病院の職員、弁護士、司法書士などにお願いすることが多くなります。危急時遺言をお考えの場面では、まず「誰が証人になれるか」を確認する――ここから始めてください。

あわせて準用される3つの条文

民法982条が準用する条文は、974条だけではありません。整理しておきます。

準用される条文内容
民法968条3項 自筆証書遺言の加除その他の変更(訂正)の方式に関する規定
民法973条 成年被後見人の遺言――事理を弁識する能力を一時回復した時に遺言をするには、医師2人以上の立会いが必要とする規定
民法974条 証人及び立会人の欠格事由
民法975条 共同遺言の禁止――2人以上の者が同一の証書ですることはできない

遺言能力そのものについては遺言能力とは――何歳から遺言できる?認知症でも有効な遺言、成年被後見人と医師2人の立会いを完全ガイドで詳しく整理しております。危急時遺言であっても、遺言能力が必要であることに変わりはありません。

20日以内に家庭裁判所の「確認」を得なければ効力を生じない

危急時遺言の最大の特徴が、この確認です。

条文――「遺言の日から20日以内」

[民法976条4項・5項]
4 前三項の規定によりした遺言は、遺言の日から二十日以内に、証人の一人又は利害関係人から家庭裁判所に請求してその確認を得なければ、その効力を生じない。
5 家庭裁判所は、前項の遺言が遺言者の真意に出たものであるとの心証を得なければ、これを確認することができない。
起算点は「遺言の日」
――死亡の日ではありません
民法976条4項。20日を過ぎると、原則として効力を生じません

ここが誤解されやすい――遺言者が生きているうちに申し立てることがあります

起算点が「遺言の日」である以上、遺言者がまだご存命の間に、確認の申立てをしなければならない場合があります。実際、家事事件手続法209条2項は、この状況をはっきり前提にしています。

[家事事件手続法209条]
1 遺言に関する審判事件(別表第一の百二の項から百八の項までの事項についての審判事件をいう。)は、相続を開始した地を管轄する家庭裁判所の管轄に属する。
2 前項の規定にかかわらず、遺言の確認の審判事件は、遺言者の生存中は、遺言者の住所地を管轄する家庭裁判所の管轄に属する。

遺言者がご存命なら遺言者の住所地の家庭裁判所、亡くなられた後は相続を開始した地の家庭裁判所――申立先が変わるのです。「亡くなってから手続すればよい」と思って20日を過ごしてしまうのが、この制度でもっとも避けたい失敗です。

申立ての基本事項

項目内容根拠
事件の種類 遺言の確認――家事事件手続法別表第一の102の項の事項についての審判事件 家事事件手続法 別表第一102の項(民法976条4項・979条3項)
申立てができる人 証人の1人又は利害関係人 民法976条4項
申立先 遺言者の生存中は遺言者の住所地/死亡後は相続を開始した地の家庭裁判所 家事事件手続法209条1項・2項
期間 遺言の日から20日以内 民法976条4項
申立ての手数料 家事事件手続法別表第一に掲げる事項についての審判の申立ては800円(このほか連絡用の郵便切手が必要で、額は裁判所により異なります) 民事訴訟費用等に関する法律 別表第一 一五の項
取下げの制限 審判がされる前であっても、家庭裁判所の許可を得なければ取り下げることができない 家事事件手続法212条
即時抗告 確認の審判に対しては利害関係人/確認の申立てを却下する審判に対しては遺言に立ち会った証人及び利害関係人 家事事件手続法214条1号・2号
[補足]
申立てに必要な添付書類や郵便切手の額は各家庭裁判所によって異なります。20日という短い期間の手続ですので、まず申立先となる家庭裁判所にお電話でご確認いただくのが確実です。裁判所の各種手続案内は裁判所ウェブサイトにまとめられています。

「確認」を得ても、有効性が確定するわけではありません

ここは、はっきり申し上げておかなければなりません。

民法976条5項が家庭裁判所に求めているのは、「遺言者の真意に出たものであるとの心証」です。つまり確認とは、その遺言が本人の意思から出たものらしいと家庭裁判所が判断した、という手続です。

したがって、確認の審判を得たあとで、遺言の有効性が別途争われることがあり得ます。遺言能力の有無、口授があったといえるか、証人に欠格事由がなかったか――これらは、最終的には遺言無効確認訴訟などの民事訴訟で判断される事柄です。「家庭裁判所の確認を得たのだから、もう誰も文句を言えない」というものではないとご理解ください。

船舶遭難者の遺言(民法979条)――証人2人以上・口頭でよい

もうひとつの危急時遺言が、船舶遭難者の遺言です。

[民法979条]
1 船舶が遭難した場合において、当該船舶中に在って死亡の危急に迫った者は、証人二人以上の立会いをもって口頭で遺言をすることができる。
2 口がきけない者が前項の規定により遺言をする場合には、遺言者は、通訳人の通訳によりこれをしなければならない。
3 前二項の規定に従ってした遺言は、証人が、その趣旨を筆記して、これに署名し、印を押し、かつ、証人の一人又は利害関係人から遅滞なく家庭裁判所に請求してその確認を得なければ、その効力を生じない。
4 第九百七十六条第五項の規定は、前項の場合について準用する。

976条との3つの違い

項目死亡危急者遺言(976条)船舶遭難者の遺言(979条)
証人の数 3人以上 2人以上
その場ですること 口授し、その場で筆記・読み聞かせ・承認・署名押印まで行う 口頭で遺言するだけでよい(筆記はあとで証人が行う)
確認の期間 遺言の日から20日以内 遅滞なく(日数の定めなし)

なぜここまで緩められているのか。船が沈もうとしている場面で、紙とペンを用意して読み聞かせをする余裕はないからです。まず口頭で遺言をしておき、生き延びた証人があとから筆記して署名押印し、家庭裁判所の確認を求める――そういう組み立てになっています。

確認の期間が「20日以内」ではなく「遅滞なく」とされているのも同じ理由でしょう。遭難した状況では、20日という数え方自体が現実的でないためと考えられます。もっとも「遅滞なく」も、いつまでもよいという意味ではありません。事情が許すようになり次第、速やかに申し立てる必要があります。

なお、979条4項により、976条5項が準用されます。家庭裁判所が遺言者の真意に出たものであるとの心証を得なければ確認できない点は、976条の場合と同じです。

隔絶地遺言――伝染病隔離者(977条)と在船者(978条)

次に、隔絶地遺言の2つを見てまいります。こちらは「死が迫っている」ことは要件ではありません。

伝染病隔離者の遺言(民法977条)

[民法977条]
伝染病のため行政処分によって交通を断たれた場所に在る者は、警察官一人及び証人一人以上の立会いをもって遺言書を作ることができる。

条文の要件は「伝染病のため行政処分によって交通を断たれた場所に在る」ことです。ここは正確に読む必要があります。

「感染症で入院している」だけでは、当然には当てはまりません

この条文でよくある誤解が、「感染症にかかって入院・隔離されていれば977条が使える」というものです。しかし条文が求めているのは、「行政処分によって交通を断たれた場所に在る」ことです。
病院の内部規則による面会制限や、感染対策としての自主的な入室制限が、ここでいう行政処分に当たるかどうかは、個別の事情によって判断が分かれ得る事柄です。977条が使えるかどうかの判断は、必ず弁護士等の専門家にご確認ください。実務上は、まず976条の危急時遺言や普通の方式で作れないかを検討するのが一般的な進め方です。

なお、立ち会う人数にご注目ください。警察官1人及び証人1人以上――最少で合計2人で足ります。4つの特別方式のなかで、もっとも立会人が少なくてよい方式です。

在船者の遺言(民法978条)

[民法978条]
船舶中に在る者は、船長又は事務員一人及び証人二人以上の立会いをもって遺言書を作ることができる。

こちらは船に乗っているというだけで足ります。遭難している必要も、死が迫っている必要もありません。長期の航海中など、公証人にたどり着けない状況を想定した規定です。立ち会うのは船長又は事務員1人と証人2人以上――最少で合計3人です。

978条と979条は、名前が似ていますが別物です

978条=在船者の遺言は隔絶地遺言、979条=船舶遭難者の遺言は危急時遺言です。どちらも船が出てきますが、制度の性格がまったく違います。
978条は遺言者本人も署名押印し(980条)、家庭裁判所の確認は不要。979条は口頭でよく、証人が筆記して署名押印し、遅滞なく家庭裁判所の確認が必要。条文番号が隣り合っているぶん、取り違えやすいところですので、ご注意ください。

署名押印と、それができないとき(980条・981条)

条文内容
民法980条 977条及び978条の場合には、遺言者、筆者、立会人及び証人は、各自遺言書に署名し、印を押さなければならない
民法981条 977条から979条までの場合において、署名又は印を押すことのできない者があるときは、立会人又は証人は、その事由を付記しなければならない

981条は、署名押印ができない人がいても、その事由を付記すれば方式違反にならないという救済規定です。ただし対象は977条から979条まで――条文の範囲にご注意ください。

ご相談事例
※以下は、実際のご相談を参考に構成した架空の事例です。特定の個人・団体とは関係ありません。

「あと数日と言われました。何かできませんか」――病室からのお電話

ある日の夕方、Aさま(60代・女性)からお電話をいただきました。お父さま(80代)が入院中で、主治医から「早ければ数日」と告げられたとのことでした。お父さまは遺言書を残しておらず、口はきけるものの、ペンを持つ力はもう残っていない状態でした。

Aさまのご心配は、はっきりしていました。「弟と、家の相続のことでずっと折り合いがついていません。父の口から、はっきりさせておいてほしいのです」――そういうお気持ちでした。

私たちがまずお伝えしたのは、「公正証書遺言が作れないかを最初に検討しましょう」ということでした。公証人には病院や施設への出張をお願いできる場合があります。危急時遺言よりも、後日争いになりにくいからです。ただ、このときは公証人の日程がどうしても間に合わない見込みでした。

そこで、危急時遺言(民法976条)の検討に移りました。ここでAさまが驚かれたのが、証人の問題です。

「では、私と弟と、弟の奥さんの3人で」とおっしゃったのですが、これはできません。Aさまも弟さまも推定相続人ですし、弟さまの奥さまは推定相続人の配偶者です。民法974条2号により、いずれも証人になれないのです。「家族が3人いれば足りると思っていました」とAさまはおっしゃいました。ここが、この制度のいちばん難しいところです。

最終的には、提携する弁護士と、相続に利害関係のない立場の方2名にご協力いただき、証人3人を確保しました。そのうえで、お父さまご本人の言葉で遺言の趣旨を述べていただき、弁護士が筆記し、読み聞かせて、3人の証人が承認して署名押印する――という流れをとりました。

そしてその翌々日、家庭裁判所への確認の申立てを行いました。お父さまはまだご存命でしたので、申立先はお父さまの住所地を管轄する家庭裁判所です(家事事件手続法209条2項)。「亡くなってからでよいのでは」とAさまはおっしゃいましたが、20日の起算点は「遺言の日」です。待っている余裕はありませんでした。

――このご相談を通じてAさまがおっしゃった一言が、今も印象に残っています。「元気なうちに一度、父と話しておけばよかった」。危急時遺言は、確かに最後の道を開いてくれます。けれども、その道は狭く、急で、しかも家族だけでは歩けないのです。

6か月生存すると効力を生じない(983条)/確認と検認は別の手続

最後に、特別方式に共通する2つの重要な論点を整理します。

民法983条――回復されたら、効力を生じません

[民法983条(特別の方式による遺言の効力)]
第九百七十六条から前条までの規定によりした遺言は、遺言者が普通の方式によって遺言をすることができるようになった時から六箇月間生存するときは、その効力を生じない。
起算点は「普通の方式によって遺言を
することができるようになった時」
民法983条。「遺言をした日から6か月」ではありません

ここは、正確に読んでいただきたい条文です。6か月の起算点は「遺言の日」ではありません。遺言者が普通の方式によって遺言をすることができるようになった時です。

考え方はこうです。特別方式は「普通の方式で遺言できない事情があるから、例外的に緩めた」ものでした。ならば、その事情がなくなり、自筆証書遺言なり公正証書遺言なりを作れる状態に戻って、そのまま6か月が過ぎたのなら、緩める理由はもうない――そういう整理です。

回復されたら、あらためて普通の方式で作り直してください

この規定があるため、危急時遺言を作った後に遺言者が回復された場合、その遺言をそのままにしておくのは危険です。回復から6か月が経過すれば、その遺言は効力を生じません。
実務では、回復されたら、できるだけ早く公正証書遺言などの普通の方式であらためて作り直すのが定石です。「一度作ったから安心」ではなく、「一度作れたから、今度はきちんと作り直す」とお考えください。作り直しの方法は公正証書遺言の作り方、公証人が作る「もっとも確実な遺言」の費用・必要書類・流れをご覧ください。

「確認」と「検認」は、まったく別の手続です

ここも混同されやすい点です。家庭裁判所の確認を得たからといって、検認が不要になるわけではありません。

項目確認検認
根拠 民法976条4項・979条3項 民法1004条
対象 危急時遺言(976条・979条)のみ 遺言書一般(公正証書による遺言には適用しない=1004条2項)
目的 遺言が遺言者の真意に出たものであるとの心証を家庭裁判所が得る手続 遺言書の現状を明確にし、偽造・変造を防ぐ手続
時期 遺言の日から20日以内(976条)/遅滞なく(979条) 保管者が相続の開始を知った後、遅滞なく
これを経ないと 遺言の効力を生じない 効力自体は失われないが、5万円以下の過料の定めがある(民法1005条)
[民法1004条1項・1005条]
1004条1項 遺言書の保管者は、相続の開始を知った後、遅滞なく、これを家庭裁判所に提出して、その検認を請求しなければならない。遺言書の保管者がない場合において、相続人が遺言書を発見した後も、同様とする。
1005条 前条の規定により遺言書を提出することを怠り、その検認を経ないで遺言を執行し、又は家庭裁判所外においてその開封をした者は、五万円以下の過料に処する。

したがって、危急時遺言では、確認と検認の2つの手続を経ることになります。検認の詳細は遺言書の検認とは――家庭裁判所での手続きの流れ・費用・勝手に開封するとどうなるかを完全ガイドをご覧ください。

なお、検認の申立ての手数料は、裁判所ウェブサイトによれば遺言書1通につき収入印紙800円で、申立先は遺言者の最後の住所地の家庭裁判所とされています。確認の申立先とは基準が異なりますので、あわせてご確認ください。

― 私たちから一言 ―

この条文を読むたびに思うのは、「間に合わなかった人がいた」ということです

民法976条から984条を、はじめて通して読んだときのことを覚えております。証人3人、口授、20日、6か月。数字ばかりが並ぶ、そっけない条文です。けれども読み進めるうちに、私はふと考え込んでしまいました。この条文は、いったい誰のために書かれたのだろう、と。

船が沈もうとしている人。伝染病で外に出られない人。長い航海の途中にいる人。そして、今夜が越せないかもしれない病室にいる人。――普通の方式では、もう間に合わない人たちです。法律の条文というのは冷たいものだと思われがちですが、ここには「それでも遺させてあげたい」という意思が、確かに書き込まれていると感じます。

一方で、実務の現場に立つ者として、正直に申し上げなければならないこともあります。この方式は、たいへん使いにくい。証人が3人必要で、しかもご家族は証人になれない。20日という期限があり、その起算点は死亡の日ではなく遺言の日。回復されれば6か月で効力を生じない。「最後の手段」と呼ばれるのは、決して大げさな表現ではありません。

ですから私は、ご相談をお受けするとき、まず「公正証書遺言が間に合わないか」を全力で探します。公証人には、病院や施設への出張をお願いできる場合があります。ご本人の意識がはっきりしていて、あと数日の余裕があるなら、そちらのほうがはるかに確実だからです。危急時遺言を検討するのは、その道が閉ざされたときです。

そして、この記事をお読みくださっている方に、いちばんお伝えしたいことがあります。もし今、ご家族がお元気なら――どうか、この条文のお世話にならずにお済ませください。元気なうちの一通の遺言は、危急の場で交わされる十の言葉より、はるかに確かな備えになります。「まだ早い」とおっしゃる方ほど、私たちは早めのご相談をおすすめしております。もちろん、すでに切迫した状況にいらっしゃる方は、一刻も早くお電話をください。できることを、一緒に探します。

一般社団法人相続なんでも相談センター 代表理事 宮野 宏樹

特別方式の遺言でよくある7つの落とし穴

最後に、実務でとくに多い誤解を7つ、整理いたします。

  1. 家族3人が証人になれると思っている 民法982条により974条が準用され、未成年者、推定相続人及び受遺者並びにこれらの配偶者及び直系血族は証人になれません。危急の場に居合わせるのは、たいていこの欠格者にあたる方々です。相続に利害関係のない証人を3人以上確保する必要があります。
  2. 20日の起算点を「死亡の日」だと思っている 民法976条4項の起算点は「遺言の日」です。遺言者がご存命のうちに申立てをしなければならない場合があり、その場合の申立先は遺言者の住所地を管轄する家庭裁判所です(家事事件手続法209条2項)。
  3. 6か月の起算点を「遺言をした日」だと思っている 民法983条の起算点は「遺言者が普通の方式によって遺言をすることができるようになった時」です。回復された場合は、あらためて普通の方式で作り直すのが定石です。
  4. 家庭裁判所の確認で有効性が確定すると思っている 民法976条5項が求めるのは「遺言者の真意に出たものであるとの心証」です。確認を得た後に、遺言能力や口授の有無が民事訴訟で争われることがあり得ます。
  5. 確認を得たから検認は不要だと思っている 確認(民法976条4項・979条3項)と検認(民法1004条)は別の手続です。危急時遺言では、両方が必要になります。検認を経ずに執行等をした場合、民法1005条により5万円以下の過料の定めがあります。
  6. 978条(在船者)と979条(船舶遭難者)を取り違える 978条は隔絶地遺言――船に乗っているだけで足り、遺言者も署名押印し(980条)、確認は不要。979条は危急時遺言――遭難かつ死亡の危急が必要で、口頭でよく、証人が筆記・署名押印し、遅滞なく確認が必要です。
  7. 「感染症で隔離されている=977条が使える」と思っている 民法977条の要件は「伝染病のため行政処分によって交通を断たれた場所に在る」ことです。病院の内部規則による面会制限などがこれに当たるかは個別の判断になります。977条の適用可否は、必ず弁護士等の専門家にご確認ください。

この記事のまとめ

  • 民法967条は遺言を自筆証書・公正証書・秘密証書の3方式に限る一方、ただし書で「特別の方式によることを許す場合は、この限りでない」としている。これが特別方式の遺言(民法976条〜984条)。
  • 特別方式は4つ。危急時遺言=死亡の危急に迫った者の遺言(976条)・船舶遭難者の遺言(979条)、隔絶地遺言=伝染病隔離者の遺言(977条)・在船者の遺言(978条)。
  • 死亡危急者遺言(976条1項)は、証人3人以上の立会いのもとその1人に遺言の趣旨を口授し、口授を受けた者が筆記して遺言者及び他の証人に読み聞かせ又は閲覧させ、各証人が筆記の正確なことを承認した後、署名し、印を押す。署名押印するのは証人であり、遺言者本人の署名押印は条文上求められていない。
  • 976条4項――危急時遺言は遺言の日から20日以内に、証人の1人又は利害関係人から家庭裁判所に請求して確認を得なければ効力を生じない。起算点は死亡の日ではなく遺言の日。
  • 976条5項――家庭裁判所は遺言者の真意に出たものであるとの心証を得なければ確認できない。確認は有効性を確定するものではない。
  • 船舶遭難者の遺言(979条)は証人2人以上・口頭でよく、証人が趣旨を筆記して署名押印し、遅滞なく家庭裁判所の確認を得る。976条5項が準用される(979条4項)。
  • 伝染病隔離者の遺言(977条)は警察官1人及び証人1人以上、在船者の遺言(978条)は船長又は事務員1人及び証人2人以上の立会いで遺言書を作ることができる。977条・978条では、遺言者・筆者・立会人・証人が各自署名押印する(980条)。
  • 981条――977条から979条までの場合、署名又は押印ができない者があるときは、立会人又は証人がその事由を付記する。
  • 982条により、968条3項(加除訂正の方式)・973条(成年被後見人の遺言)・974条(証人及び立会人の欠格事由)・975条(共同遺言の禁止)が特別方式の遺言に準用される。推定相続人・受遺者やこれらの配偶者・直系血族は証人になれない。
  • 983条――特別方式の遺言は、遺言者が普通の方式によって遺言をすることができるようになった時から6か月間生存するときは、その効力を生じない。
  • 遺言の確認は、家事事件手続法別表第一102の項の審判事件。管轄は相続を開始した地だが、遺言者の生存中は遺言者の住所地(家事事件手続法209条1項・2項)。審判前でも家庭裁判所の許可なく取り下げできない(212条)。
  • 確認(976条4項・979条3項)と検認(1004条)は別の手続で、危急時遺言では両方が必要。検認を経ずに執行等をすると5万円以下の過料の定めがある(1005条)。
  • 民法984条は、条文の位置は特別方式の箇所にあるが、内容は外国に在る日本人が公正証書又は秘密証書によって遺言をする際に、公証人の職務を領事が行うという特例である。

参考文献(一次情報)

※本記事は一般的な解説を目的としたものであり、個別の事情により取り扱いが異なる場合がございます。本記事は、特定の方式による遺言の作成を推奨するものではなく、法律上の助言を提供するものでもありません。特別方式の遺言が使えるかどうか、また作成した遺言が方式を満たすかどうかは、遺言者の状態、居合わせた方々の立場、記録の残し方など、個別の事実関係によって結論が変わり得る事項であり、本記事の記載によって特定の遺言の有効性を保証するものではありません。とくに、「死亡の危急に迫った者」に当たるかどうかの判断、「口授」があったといえるかどうかの判断、民法977条の「行政処分によって交通を断たれた場所」に当たるかどうかの判断は、個別性が高く、判断を誤りやすい領域です。危急の場面では時間の余裕がないことが多いため、できるかぎり早い段階で、弁護士・司法書士などの専門家および公証役場にご相談ください。記載した法令名・条項・数値は執筆時点で一次情報により確認したものですが、法令および手数料等は改正される可能性があります。申立てに必要な書類・郵便切手の額などの運用は各家庭裁判所によって異なります。本記事の内容は2026年8月時点の情報に基づいていますが、実際にご検討される際は、必ずe-Gov法令検索、裁判所などの一次情報で最新の内容をご確認のうえ、専門家にご相談ください。本記事の情報を利用したことによる損害等について、当センターは責任を負いかねます。

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